じぃの印象的な気づき

34. 仏さまとは何?

(私は仏さまになりたいが、条件があるようだ)

2025年10月

今まで親鸞さんの教えを学んできて、ご本の中で出てくる「ほとけさま」について、いつも気になっていて、「仏さま」って「なに」と思っていました。

そんなつまんないことを思っていたのかと、お思いでしょうが、私にはよくわかりませんでした。

仏さまと言えば、一般的には亡くなった方を言うようですが、お釈迦さまだけは、現世(生きているうちに)で唯一、仏さまになられた方(悟りを開かれた方)と言われています。

仏教ではもっと深い意味があることを、主観的ではありますが、私なりにやっと知ることができました。それがすべてとは思いませんが、一端を知ることができたと思います。

それは「ほとけさまになる」とは「さとる」と同じということで、「仏さまになること」とは、「迷いの世界が無くなること」を言うようです。これが今回知ったことです。

ということは、まず、私は仏さまには現世ではなれないと言うことです。しかし、ある条件を満たしていけば、死んで往生するときには、なれるかもしれない、ということのようです。仏教の解釈は、死んだら誰でも仏さまになれるというものではないようです。

ここで言う、ある条件を見ていきますが、死んでからのことなんかを気にされない方もあると思いますが、法然さんや親鸞さんは死んでからのことも考え続けていて、その結論(解決)に至っています。

死んでからのことを「後生ごしょう一大事いちだいじ」ととらえていました。後生とは死んでからのことです。

お釈迦さまは苦しみの元は煩悩や迷いであるとおしゃっており、現世で死後の問題(後生の一大事)を解決すれば、現世でも、来世でも何があっても変わらない幸せになれると教えられています。

できるだけ煩悩の火を消していくことが必要と知りながらも、死ぬまで消すことも、無くすこともできないのが人間であると親鸞さんらもおしゃっています。

仏教では煩悩ぼんのう具足ぐそくの私たち(我ら)は悪人のあつかいです。

私たち悪人は六道ろくどう(*)の中を行ったり来たり、その中の時間的長短の片寄り(ご先祖さまのことも含む)はありますが、輪廻りんね転生てんしょう(**)を繰り返しながら当時期を生きている、人生を送ってきたとされています。

(*)六道ろくどう: 地獄界じごくかい餓鬼界がきかい畜生界ちくしょうかい修羅界しゅらかい人間界にんげんかいてん上界じょうかい

(**)輪廻りんね転生てんしょう: 仏教ではたった一度の人生(現代人の考え方)ということではなく、ご先祖さまを含む生き死にを永遠に繰り返すという考え方です。

現代風に言うならば私たちは諸行しょぎょう無常むじょう栄枯えいこ盛衰せいすい、浮き沈み、山あり谷ありの中で生きているということでしょう。

このような状況(状態)ですので、私たちが「仏さまになる」・「迷いの世界が無くなる」なんて言うことはあり得ません。現実世界(現世)ではありえないのです。

私たちは六道という世界の中で右往左往して生きていて、それらから逃れることはできない存在だと言うのです。

現実をよく見ると、よく考えると私はその通りと思います。

仏さまになることを「夢見ている」私はどうすればいいのかと思いますが、次のようなことが分かってきました。

私たちが仏さまになれるとしたら、条件があり、それをクリアしたら、現世ではなく、来世でやっとなれるとのことです。来世とは死んで往生した時です。

誤解のないように申しますが、早く死んで仏さまになりたい(阿弥陀さまの待つ極楽浄土に往きたい)と思っても、そういう気持ちにはならないのだが、いかがなものかと思っていた、と親鸞さんのお弟子さんが、尋ねたところ、親鸞さんも同じくそうゆう気持ちであると言いました。なぜか、それは煩悩の仕業しわざであると言っています。だからあせらずに生きていけばよいとの教えであったと。

次にその条件をみてみます。

結論から言うと法然さんも親鸞さんも「弥陀の本願」を信心して、確実に実行することとおっしゃっておりますのでこれに尽きると思います。

具体的に何をやるかですが、阿弥陀さまの名になっている「南無なむ阿弥陀仏あみだぶつ」を感謝の気持ちを持ってただとなえるだけです。お助けください、お救いくださいとお願いしなくても、阿弥陀さまはわかっていらっしゃるのです。

きわめて簡単な「ぎょう」ですが、阿弥陀さまのおちから・はからいをいただき、信じ(本願他力)、すこしずつ積み上げて実行していくことのようです。

法然さんは「弥陀の本願ほんがん念仏ねんぶつ」を「専修せんじゅ念仏ねんぶつ」と言っていましたが、一日6万回称えていたと言います。

次の歎異抄第一条の冒頭の言葉が良く表しています。

(原文)弥陀みだ誓願せいがん不思議ふしぎにたすけられまいらせて、往生おうじょうをばとぐるなりとしんじて、念仏ねんぶつもうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨せっしゅふしゃ利益りやくにあずけしめたまうなり」

(意訳)「(すべての衆生を救うという)阿弥陀如来の不思議な誓願せいがんによって、助けられ、浄土にとなり、念仏となえようと思い立つ心の起こるとき、おさっててられぬ絶対ぜったいの幸福にいかされるのである」

口に出してとなえていると阿弥陀仏の心(*)が私たちの心の底に届いて、私たちがいずれ仏さまになるたねになるはたらきをしますとのことです。そうすればほとけさまになる道を歩んでいくことになります。

現世では、ほとけさまになるのはどんなぎょう(修行)をしても、なれないということです。しかし、行をこなして功徳くどくを積んでいけば大きなメリットとして、現世でも迷いを少しづつ減らしていくことができ、

来世ではほとけさまになれるかもしれないということです。

お断わりしておきますが、これらはあくまで私の主観的な解釈・思いです。これらは客観的と言えないので、ひとそれぞれの思い・歩みは自由です。

(*)阿弥陀仏あみだぶつの心: 阿弥陀さまは如来にょらい智慧ちえぶっ)で十方じっぽう衆生しゅじょう(すべての人)の愚かさ、悲惨さ、不条理等を知り尽しており、そんな人たちを救おうと誓願し、本願念仏をお建てになりました。

ここからは少し補足説明します。

◎阿弥陀さま(阿弥陀如来)って何、誰ですが、

私の理解では、阿弥陀さまは史上最上の「如来さま」であり、お釈迦さまをはじめとする、すべての如来さまの師(先生)で、その根本の教えは各如来さまに少なからず引き継がれていると思っております。

お釈迦さまは師とする「阿弥陀仏」が掲げた「弥陀みだ本願ほんがん」を生涯かけて説かれました。

「弥陀の本願」はお釈迦さまが作られた七千余経の中の「無量寿経」にお残しになり唯一、真実のお経とされています。

阿弥陀如来が法蔵ほうぞう菩薩ぼさつだったころ、果てしなく長い時間・修行(五劫思惟ごこうしゆい)をして「四十八しじゅうはち誓願せいがん」(阿弥陀仏の本願)立てられ、その誓願を達成して、阿弥陀如来になられたとのことです。

そして、親鸞さんの著書、きょうぎょう信証しんしょう行巻ぎょうかんにある正信偈しょうしんげで次のように明示しています。

(原文)如来にょらい所以しょいこう出世しゅっせ  唯説ゆいせつ弥陀みだ本願ほんがんかい

釈迦しゃか如来にょらい興出こうしゅつしたまう所以ゆえんは  ただ弥陀みだ本願ほんがんかいかんがためなり)

(意訳)釈迦しゃか如来にょらいがこの世に現れた目的はただひとつ、海のように広くて深い、弥陀みだ本願ほんがんかれるためであった」

また、蓮如さんは御文章ごぶんしょう二帖にじょうの第八通・本師本仏ほんしほんぶつの所で次のように述べている。

(原文)弥陀みだ如来にょらいもうすは、三世さんぜ十方じっほう諸仏しょぶつ本師本仏ほんしほんぶつなり」

(意訳)阿弥陀あみだ如来にょらいとは大宇宙の無数の仏方ほとけがた師匠ししょうである」

 

◎仏教で言う悪人とは何

現在、世間で言われる「善悪」では法律や道徳の観点が基準になっており、法律を犯したり、道徳的に見ておかしいことをしたものを「悪」や「悪人」としています。

仏教では先にも述べたように「煩悩ぼんのう具足ぐそくのわれら」を悪人としましたが、煩悩とは「ぼん」は身をわずらわす、「のう」とは心をなやますという意味です。「具足ぐそく」とは十分備えているという意味です。

阿弥陀さまから見れば、十方衆生(すべての人)が悪人であることから、これらの悪人を救い、仏さまにすることを述べられていて、それが見て取れる文言もんごんが歎異抄第三条の後半部分に示されています。その文言を見てみます。

(原文)煩悩ぼんのう具足ぐそくのわれらは、いづれのぎょうにても生死しょうじはなるることあるべからざるを、あわれみたまいて、がんをおこしたまう本意ほんい、悪人成仏じょうぶつのためなれば、他力たりきをたのみたてまつる悪人、もっとも往生おうじょう正因しょういんなり。よて善人ぜんにんだにこそ往生おうじょうすれ、まして悪人は、と、おおせそうらいき」

(意訳)「煩悩にまみれた私たちは、どのようなぎょうに励むとも、到底、生死しょうじの迷いから離れ られない私たちを不憫ふびんに思われて、阿弥陀仏は弥陀みだ本願ほんがんつくられた。その本願は私たち悪人を成仏じょうぶつさせるのが本意ほんいであるので、阿弥陀仏の他力たりきたのむ悪人こそが浄土に生れるための正客しょうきゃくであります。必ず仏になるたねの持ち主なのです。それゆえに、善人でさえ往生おうじょうするので、ましてや悪人が往生することは言うまでもありません。と親鸞さんはおっしゃたのです」

最後に私自身はどう見ても善人とは言い難く、悪人との認識のもと、親鸞さんをはじめとして、善知識の方々、よき人からの教えを学びて、できるだけの実践をしていきたいと思います。

来世での仏さまになれますように、慈悲の心を持ちながら功徳を積めればと思います。

(出来もしないことかもしれませんが、カッコ良すぎる締めになり恐縮です)

興味がある方には次のご本をお勧めします。

利麿としまろ先生の著書 「歎異抄たんにしょうにであう」 NHK出版

南無阿弥陀仏

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