ゆかりの地めぐり

親鸞聖人ゆかりの地めぐり(関東)

今年(2023年)が親鸞聖人御誕生850年、来年(2024年)が立教(浄土真宗)800年の節目になっています。

この時期、関係寺院では記念法要(慶讃きょうさん法要ほうよう等)が営まれます。私も近くの寺院に参加しました。

久しぶりに親鸞聖人ゆかりの関東の地を訪れることができました。今年(2023年)7月20日、21日に次の経路で巡ってきました。20日に鹿島かしま神宮じんぐう無量むりょう寿寺じゅじ、21日に報仏寺ほうぶつじ真仏寺しんぶつじ西念寺さいねんじ大覚寺だいかくじの順で巡りました。

その行き順で感想等も含めて書いてみます。
親鸞聖人が関東に至る経緯を簡単にまとめてみます。

  1. 京都で法然聖人に6年間師事していた時に、南都なんと北嶺ほくれいの寺院の一部から法然聖人の教え(本願ほんがん念仏ねんぶつ専修せんじゅ念仏ねんぶつ)の普及にクレームが出て、朝廷を巻き込んで、後鳥羽上皇より法然聖人をはじめ、弟子7名が流罪、4名が死罪とされた。流罪に親鸞聖人が含まれていた。(1207年の承元じょうげん法難ほうなんといわれる)
  2. 親鸞聖人35歳の時に越後(現在の上越)に流され、流罪るざい期間5年で赦免しゃめんとなる、その後2年ほどそこに留まる。
  3. その後、1214年頃に妻と子供たちとともに、新天地の関東に出向く。42歳の時。最初の3年ほどは下妻しもつま小島おじまの草庵そうあんで暮らし、その後、法然聖人の有力弟子の支援で稲田いなだに移り住み、稲田いなだの草庵そうあん西念寺さいねんじ)に居住し、布教の拠点とする。一家で20年あまり過ごす。
  4. 西念寺で布教活動をする間に多くの弟子(70人ほど)ができ、二十四にじゅうよはいと呼ばれる有力門弟もんていが、茨城を中心に寺院を建立していった。
  5. 関東居住20数年後、1235年ごろに京都に戻られる。

 

<今回巡ったお寺の概略>

  • 鹿島かしま神宮じんぐう:ここには多くの仏教経典があり、学んだところ。
  • 無量むりょう寿寺じゅじ:親鸞聖人の鹿島神宮詣で経典を学ぶため、近いため拠点にもなっていたようだ。
    (茨城県鉾田ほこた鳥栖とすにあり、二十四輩の順信じゅんしんが開基)
  • 報仏寺ほうぶつじ:歎異抄の著者とされる、唯円ゆいえんのお寺。
    (茨城県水戸市河和田かわだ町にあり、唯円が開基)
  • 真仏寺しんぶつじ:みずから田んぼに入られ、田植え詩もつくり、農民への布教をされた。
    (茨城県水戸市飯富いいとみ町にあり、真仏が開基)
  • 西念寺さいねんじ:親鸞聖人が関東における布教活動の中心地。親鸞聖人の遺骨(一部)がある。
    (茨城県笠間かさま稲田いなだにあり、豪族の宇都宮頼綱よりつなの弟の稲田頼重よりしげが開基とされている)
  • 大覚寺だいかくじ山伏やまぶしべんねんが、板敷山いたじきさんで親鸞を殺害しようとしたが、果たせず、その後弟子になる。
    (茨城県石岡市大増にあり、弁円が開基か)

1.鹿島神宮

どこに親鸞聖人の史跡があるのか探した。建屋はなく看板(写真下右)をみつけた。

その看板には、鹿島神宮は関東有数の経典の宝庫とされていた。たびたび訪れ釈迦の一切経をはじめとした文献を閲覧していた。そして、聖人の主著とされる教行信証等の参考にされたと記されていた。

私、鹿島神宮は過去に訪れていたが、その時は親鸞聖人の史跡があるとは知らなかった。

鹿島神宮の鳥居 
鹿島神宮の鳥居


2.無量寿寺むりょうじゅじ

本堂が2021年1月21日に焼失していた。
(写真右)

 

 

 

山門と鐘楼は残った。(下の写真)
寺に埋葬された関係者の方の亡霊によって、悩んでいたところ、親鸞聖人が、鎮めたことで、禅宗のお寺から浄土真宗のお寺に変わった。

 


3.報仏寺ほうぶつじ

歎異抄は言わずと知れた名著であるが、その作者・唯円がこの寺で書かれたことを思うと考え深いものがありました。

ご存知のように、唯円は親鸞聖人が説いた教えとは異なる解釈を説く者が後を絶たなかったことで、教えが歪められていることを嘆き、親鸞聖人から直接お聞きになった本来の教えを伝えるために書かれたものとされています。

私、歎異抄の本、六冊持っていた。内容はさておき、唯円の人なり、エピソードを少し書いてみます。

彼(北条ほうじょうへい次郎じろう)は信仰心のない乱暴者だったという。彼の妻は対照的に親鸞聖人の熱心な信者で、稲田の草庵にしばしば参詣さんけいしていた。そんな彼女に親鸞は自筆で名号みょうごう(「帰命尽十方礙光きみょうじんじっぽうむげこう如来にょらい」のじゅう名号みょうごうを差し上げた。
あるとき彼女が名号に向かってお念仏をとなえていた時に、突然、彼が帰ってきて、それを他の男の恋文と勘違いして、激怒し、彼女(妻)をいきなり斬り殺し、竹やぶに埋めたと。その後、家に戻ると、死んだはずの彼女が出迎えてくれたと。驚いて、竹やぶに戻ると、そこには血に染まった親鸞聖人直筆の名号があったと。この一件で彼は目が覚め、名号を信心し親鸞聖人の弟子になったと。この寺には刀の跡が残った帰命尽十方礙光きみょうじんじっぽうむげこう如来にょらいの名号のご本尊とも言えるおふだが現存していると。

 

 

 


 

4.真仏寺しんぶつじ

親鸞は豪族であった真仏(北条平太郎)の招きで訪れた時に、農民と共に田植えをみずからもやり、「お田植たうえのうた」をつくって農民が自然にお念仏をとなえるようにされた。親鸞は真仏を信頼して、親鸞ご自身の像を創られ贈呈された。それが本堂のご本尊のひだりわきだん(向かって右)に鎮座している。

 

住職にお会いし、本堂の本尊にお参りさせていただいた。
外にあった親鸞聖人の像の前で写真も撮っていただいたり、数珠や教本等を分けていただき、親切にしていただきました。


5.西念寺さいねんじ

今回のめぐり旅で一番行きたかったところで、想像以上のところだった。
境内も広く、数々の史跡があった。
ここは一家で20年余り住まわれ、親鸞の関東における念仏の普及と多くの門弟を育てた活動の中心地であった。
山門の石碑に別格本山、親鸞聖人の主著「教行信証」製作(草稿文)の地と刻まれている。
本堂前に浄土じょうど真宗しんしゅう開闢かいびゃく霊地れいちの石碑もある。

本堂右手の坂の登り口の右手に親鸞の像(写真左下)があり、登っていくと親鸞聖人の遺骨を納めた「御頂ごちょう骨堂こつどう」(写真右下)あった。(親鸞は京都で亡くなっているが遺骨の一部が納められている)

史跡の一つをご紹介します。山伏の弁円が乗り込んできて、対面し親鸞の慈顔に触れ即弟子になる。
このお寺には多数の史跡があります。よろしければ探索してみてはいかがでしょうか。

 

 


6.大覚寺だいかくじ

大覚寺と言えば、親鸞と弁円べんねんとの出会いが普通ではなかったことでしょう。

弁円は山伏やまぶしとして地元で人々の厄災やくさいため、呪術じゅじゅつや祈禱で取り払っていた。ところが、親鸞が稲田に来てから親鸞の教えの説法の方に民衆が集まり始めたことで、危機感を抱き・邪魔者の存在となってきた。そこで、板敷山で殺害を企て待ち伏せしたが、現れず果たすことができなかった。

それではと、親鸞の住まいの稲田の草庵に山伏衆を率いて出向き斬り捨てようとしたが、対面すると親鸞の慈顔じがんにふれ、たちまち改心・懺悔し弟子になった。その後、明法みょうほうの法名をいただき、高弟として布教に努めたと。

 


<関東の親鸞めぐりを終えて>

やっと、関東でのめぐりができて、思うことを下記してみます。

  1. 西念寺さいねんじは親鸞を感じさせるたたずまいをもっていた。薄暗くなっていた本堂にはいるとより感じた。
    ご本尊の前に座り、お参りをした。そのわきに記帳台があり、感想を含め記帳させていただいた。何とも言えない気持ちだった。
  2. 人間のもつ宿業しゅくごう(宿善・宿悪)を感じるめぐりだった。
    人間は宿業しゅくごう(過去の因縁)を持って生いきているが、宿悪が現れ、唯円ゆいえんの極悪人、弁円べんねんの殺意ある行動、悪業あくごうをかいまみるが、親鸞との出会いで、善業ぜんごう(宿善が現れる)にかわった。お寺を建立し、民衆のために、唯円は世界的な名著「歎異抄」を世に出した。良いご縁がこうも変えるのだとだとつくづく思った。
  3. もう一つ思うことは、巡ったお寺はいずれも素晴らしいものでした。長年、維持管理されていることのご苦労は大変なものがあると思います。なにものも参拝させてくれる、くるものこばまずです。

そのわりには、参拝者が少ないようにいつも感じます。日本のよき精神性をはぐくむお寺にもっと多くの方が足を運んでもいいのではと思う次第です。

私の住んでいる千葉県いすみ市には二十四にじゅうよはいのひとり念信ねんしんが開いた照願寺しょうがんじがあり、2カ月ごとに法話会が開催され参加していますが、もっといろんなところに足を運びたいと思います。

合掌
南無阿弥陀仏

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