私が学んだ範囲での親鸞聖人に特に関わる、主要人物について取り上げる。当然ながら、ほかにも沢山の関係者・影響者がいることを承知している。
その主役:阿弥陀仏で物語の主人公である。
阿弥陀如来 (弥陀、阿弥陀仏、無碍光如来、無量寿仏、光炎王仏、大応供)
仏の中の最上位であり、十方諸仏の本師本仏(師匠)とある。と
世自在王仏の元で修業をしていた法蔵菩薩の時に、五劫という無限に近い時間、思惟し、48の誓願を立て、それを達成して如来になられた。特に、18願は極楽浄土に生まれたいと願うすべての人を救済するという、お約束です。
弥陀の誓願(本願)48あるが十方衆生(すべてのひと)との約束は18・19・20の三願である。
この三願によってすべての人を救うことになる。
親鸞聖人は浄土和讃の以下の文証で弥陀の偉大さを述べている。
仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり
三途の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ
釈迦如来 (釈尊、釈迦、お釈迦様)(今から約2600年前、80歳で入滅)
言わずと知れた仏教の開祖である。七千余巻のお経をつくられた。その中に阿弥陀仏を称賛するのがある。以下挙げてみる。
阿弥陀経:「阿弥陀仏は諸仏の中の王なり」
平等覚経:「諸仏光明の王、光明の中の最極尊なり」
大無量寿経:「無量寿仏に一向専念せよ」
大無量寿経は弥陀の48願の本願が説かれている。
大無量寿経は釈迦の7千余巻(一切経といわれる)のお経の中で唯一の真実の経と言われている。
釈迦如来が入滅後「末法思想」が生まれた。釈迦の教えが年月を経て変化していくことを予言したもの。
1.正法:釈迦入滅後 1000年間(紀元前949年―紀元52年)の時代
① 釈尊の教え(教)が正しく伝わる。
② 修行(行)者がいる。
③ 修行し悟り(証)を開く者がいる。
2.像法 次の1000年間(紀元52年―1052年)時代
上記①と②の教えと修行者のいる時代で悟りを開く者がいない。
3.末法 次の1万年の時代 1052年を末法元年といわれる。(現在は末法の時代の中にある)
上記①の教えのみが残る時代。仏教が衰退、争乱の時代に入った。と。
4.法滅 仏法は滅びるだろうと。
法然上人(1133-1212、80歳で入滅)
美作国(岡山県)に誕生
法然の深層:幼い時から両親が悪人であり、自分もまた悪人の血を引いた悪人である、と。
そんな中で母と一緒に極楽へ行きたいという切実な思いがあった、と。
43歳で叡山(比叡山)を下りる(師の叡空と対立がキッカケと)
それは観想念仏と口称念仏の優劣を議論しお互いに譲れない一線であった、と。
75歳の時に流人となる。
法然上人は善導大師の思想(共生)を拠り所としていた。
従来の社会(公家・朝廷)仏教から民衆(庶民)仏教にした。
観想念仏=聖道門(難行苦行)特定の人が行う修行、から
口称念仏=浄土門(易行)凡夫でも簡単な修行へ
口称念仏:大原問答で口で阿弥陀如来の御名(みな)を称(とな)えるだけの念仏は
誰もができる甚だ易しい行だからと主張した。(易行を主張)
浄土宗の開祖 (総本山知恩院)
1175年に開宗、専修念仏を称えること
本尊:阿弥陀如来
経典:浄土三部経と言われるもの
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経
主な著書:選択本願集
:一枚起請文
親鸞聖人(1173年5月21日(承安3年)-1263年1月16日(弘長2年)90歳入滅
京都日野に誕生(藤原有範(日野有範とも)―吉光御前の長男)4歳時に父君、8歳時に母君に死別
9歳の時に伯父・藤原範綱に付き添われ京都・青蓮院で慈円より得度する。
29歳まで比叡山で修行する。29歳で下山し法然の弟子になる。
35歳で朝廷からの念仏禁止令により、流罪となり上越に流される。
親鸞の思想・教え・背景はすべて過去の偉人たちのものをまとめた、と。
・法然を師匠としたことから、生き方が一新(新しく生き返る)する。法然に6年間仕える。
・法然上人から口称念仏を引き継ぐ。
親鸞聖人は代々の如来(阿弥陀如来・釈迦如来)・七高僧が伝えられたものがすべてで親鸞が新たに開いた教えはない、と。(時空を超えた教え)
七高僧:インド(龍樹・天親)、中国(曇鸞・道綽・善導)、日本(源信・源空)
お釈迦様が説かれた7000余のお経(一切経)を生涯で4度読破された。と
親鸞聖人は阿弥陀仏の十八願、十九願、二十願の三願によって救われた。と
浄土真宗の開祖
1224年に立教開宗、教行信証の大綱ができた
本尊:阿弥陀如来
(名号本尊として祀ることもある)
:「南無阿弥陀仏」六字名号
「南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)」九字名号
「帰命尽十方無碍光如来」十字名号
経典:浄土三部経と言われるもの
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経
主な著書:顕浄土真実教行証文類(教行信証)
浄土和讃
高僧和讃
正像末和讃
唯信抄文意:親鸞の仏陀観を述べられている。
恵信尼:(1182-1268?86歳)親鸞聖人の妻、越後・関東時代に共に過ごす。
娘の覚信尼あてに書状を遺した。
覚信尼:(1224-1283、59歳)
親鸞の末娘 覚信尼の子供の覚恵(親鸞の孫) 覚恵の子供の覚如(親鸞の曽孫)
親鸞と晩年をともにし、廟堂を建立し、その管理する「留守職」を務める。
覚如上人:(1270-1351、81歳)親鸞聖人の曽孫(ひまご)
廟堂を寺院化し、本願寺3世(3代目)を名乗る。本願寺教団の事実上の創始者。
(本願寺2世(2代目)は親鸞の長男・善鸞の子・如信(にょしん)が継ぐ。(覚如より指名))
主な著書:御伝鈔
唯円 (1222-1289、67歳)
親鸞が滅後25年後くらいに「歎異抄」を著す。
その理由は親鸞聖人の教えが曲解され、広まったことを嘆いて直接聞いたことをまとめたもの。
親鸞の教えを分かり易くまとめたもの。
蓮如上人(1415年-1499年 85歳入滅 5人の妻と27人の子供)
親鸞聖人の初代から約200年後に本願寺第八代目となる。中興の祖としてあがめられている。
主な著書:御文章(ごぶんしょう)(47歳、1461年ごろから作られる。)











