ブッダ(お釈迦様)がつくられたお話(寓話)
(人間の姿・実相そして人生の目的について)
2025年2月
お釈迦さまが人間の実相を寓話で巧みに説かれています。私たち凡夫の姿を見事に表しています。そして、よき人生の歩みについてお話しています。考えさせられるものがあります。
(寓話:人間に何らかの教訓を与えることを意図したお話です)
次のような話になっています。
「荒野を旅する一人の人間がいて、そこにとつぜん虎が現れ、危険を察して逃げ、藤つるにぶら下がり難を逃れた。しかし、藤つるの元にネズミ2匹がその藤つるをかじっている。藤つるの下には深海が広がり、そこには毒竜三匹がいた。藤つるの元にハチの巣があり、藤つるをゆるすとハチミツが落ちてきて、至福のひと時をあじわう。」
そして、人間はこれらの実相の中で、人生をどう生きるのが良いのかのお話になっています。
1.人間の実相(4つに分けられたあらすじ)
(その1)
一人の旅人が荒野を歩いていると、一匹の虎に遭遇し、追われて危険を察知し、持ち物をすべて捨て、追い付かれると食い殺されるので必死で逃げた。断崖に行きつき、そこに松の木があり、幸い藤つるがたれていたので、その藤つるにぶら下がって虎からの難を逃れた。
(その2)
ひと安心した旅人は、松の木からのびた藤つるにぶら下がって、下を見ると怒涛逆巻く深海が広がっていて、そこには3匹の毒竜が落ちてくる旅人を待ち構えている。一難去ってまた一難。
(その3)
藤つるの上部を見ると2匹のネズミがいて、なんと藤つるをかじっている。まさに、藤つるが嚙み切られる状態にあった。藤つるが嚙み切られてはひとたまりもないと思った。また、一難加わる。
(その4)
旅人は2匹のネズミを追い払おうとして、藤つるをゆさぶったが、逃げるそぶりはなかった。しかし、藤つるをゆさぶったために、なにかが落ちてきた。なんと、上部に蜂の巣があり、そこからハチミツが落ちてきた。そのハチミツは美味でとりこになり、今までおかれている状態をすっかりわすれて楽しんだ。歓喜に酔いしれた。
2.それぞれの意味するところ(概説)
(その1)では、虎が出てきて、旅人(人間)が追われて逃げることを書いています。
◎虎は何か
人間の「死」を意味します。(虎に襲われれば殺される)
いつ襲われるかわからない(いつ訪れるかわからない)死のことです。
万人は必ず死を迎えますが、老病に加え、自然災害、突然の事故もあります。悩みや不安も死に至る要因のひとつと。また、老少不定もあり、年長者が必ずしも若い人より早く死ぬのではないことも言ってます。だれしも、いつ・なんどきに遭遇するかわからないということでしょう。
死から免れるためには(その場に及ぶと)、命が助かるためには、すべてを投げ捨てることもある。
(その2)では「藤つる」と「3匹の毒竜」が出てきます。
旅人は虎に追われ、藤つるにぶら下がって難をのがれたが、その下には深海が広がっていてそこには3匹の毒竜が待ち構えていた。
◎藤つるは何か
自分のたよりになること、なるものが、自分の寿命をあらわしていると。(自分の命を長らえた) 藤つるはいつ切れるかわからない。
◎三匹の毒竜は何か
藤つるから離れれば(おちたり、きれたり)、確実に死ぬことをあらわしている。
3匹の毒竜は人間を悩ませる3つの煩悩(3毒の煩悩)を言っている。
青い毒竜は「欲の心」
赤い毒竜は「怒りの心」
黒い毒竜は「愚痴の心」
煩悩を十悪にわけています。上記の心(欲、怒り、愚痴)から始まり、口(綺語、両舌、悪口、妄語)に出て、体(殺生、偸盗、邪淫)に現れる。
これらの煩悩が深海に導びいて、地獄に落ちると説かれている。
(その3)では2匹のネズミが出てきます。
ネズミが藤つるをかじっている。
◎2匹の白と黒のネズミはなにか
白のネズミは「昼を」、黒のネズミは「夜を」表していると。(四六時中のこと)
昼も夜も藤つるをかじっている(細くなっていく)ので、人の寿命を縮めていること。
身体の衰えもたとえている。遅かれ早かれ噛み切られると。
(その4)では5滴のハチミツが出てきます。
藤つるをゆさぶったらハチミツが落ちてきた。
◎ハチミツは何か
おいしいハチミツは次の五欲とも言われて、人間の欲望のこと。
1つ目:食欲
2つ目:財欲
3つ目:色欲
4つ目:名誉欲
5つ目:睡眠欲
人間はできるだけ、これらを満たしたいと思って追及しています。
ブッダはこれらを全否定されているわけではありませんが、常にこのことばかりにとらわれることがないようにと説かれています。
3.よき人生について(人生の目的)
ブッダは私たち凡夫の実相を知った上で、次のようにお話しされている。
人間に生まれたことは大変尊いものであることをおっしゃりながら、せっかく生まれたならよき人生にしなくてはならないでしょうと。そのためにはどうするかをお示しになられている。
よき人生とは人生の目的とも言っていいもので、次の言葉です。
「生きているうちに、絶対の幸福に救い、必ず極楽浄土へ往ける身にすること」
(どんな人でも、生存中に一念をもって、後生(死後)の一大事を解決して、絶対の幸福に救い、必ず極楽浄土に往ける身にさせる)
その方法を教えられています。
人間の実相で分かるように愚かで、罪深い人たちを救うには、十方諸仏の方々がお認めになった、無量寿仏(阿弥陀仏)しかいない、阿弥陀仏は仏智の極みともいえる方で、凡夫(十方衆生)を救い摂られる唯一の方であると説かれています。
それは「阿弥陀仏の本願」からきています。
(本願には48願ありますが、人間にとって特に大事な願は18願、19願、20願と言われています)
歎異抄では以下のように述べられています。
「念仏、もうさんと、おもいたつ、こころのおこるとき、すなわち、摂取不捨の利益に、あずけしめ、たまうなり」
お念仏を称え、信心することで救われるということです。
4.感想
お釈迦様が約2600年前に庶民に説法されたものとされていますが、現代でも通じる話だと思います。
しかしながら、その教えは、私たち凡夫(十方衆生)には、どんな素晴らしい教えでも、のど元過ぎれば…ではないですが、頭に残らなかったり、忘れてしまいますね。
人間のキャパシティーは知れているので、情報過多の時代、忘れるのは普通だとは思います。
お釈迦様や阿弥陀様は凡夫の知恵(凡智)のはるかにこえた知恵(仏智)をもっておられます。
何かを判断するときには仏座でと聞きます。少しでも仏の知見を参考に判断の材料にしなさいと言うことではないでしょうか。
大無量寿経に次のように述べられています。
「教語開示すれども、信用する者は少なし。生死やまず悪道絶えず」
(言葉を尽くして一大事を説けども、信用するものすくなしで、抜苦与楽の人なしである)
ブッダはこのような警鐘をされています。
仏教の教えは実相を踏まえて、心の改善がスタートで、徐々に言葉での改善、行動での改善をしていけば、ある時突然、阿弥陀仏が一念で絶対の幸福にしてくれるし、後生も面倒見てくれるということでしょう。
因果の道理を知り、善因善果の意味を理解して取り組むと良き人生の方向になるようです。
和顔愛語や少欲知足も常に気に留めておきたい言葉です。
教えは仏教用語で、理解するのが難しい側面があり、一度聞いただけでは身につかない。多くの仏教用語の中で、これはと思う言葉は、できる限り、繰り返し繰り返し読んで覚えて、意味を理解し行動に結び付けたいものです。
教えを精神的なものとするならば、元気で過ごしていくための肉体的健康管理も必要と思います。
南無阿弥陀仏
※追記
寓話の内容について、もっと詳細を知りたい方は次のご本をご覧ください。
「人生の目的」 監修・高森顕徹先生、著者・高森光晴先生/大見滋紀先生(一万年堂出版)












