無碍の一道 (歎異抄第7章に記載)
私の一番好きな言葉かもしれない。
お念仏の中にこの言葉の意味がすべて含まれているように思う。
親鸞聖人の平生業成(じぃの覚え書き「親鸞聖人の平生業成の教え」を参照)の教えの根幹となる考え方(教え)だと思う。
意味:無碍はさわりがないこと(さまたげがないこと)。一道は一つの教えの道。
親鸞聖人は艱難辛苦の90年の生涯を弥陀の誓願不思議に救われ、信心を貫かれた。
その一つが無碍の一道の教えではないか。長寿ができたポイントの一つではないかと思う。
弥陀の誓願不思議は「天神地祇も敬伏する」「魔界外道も障碍することなし」とするも、念仏者の信心はいかなる良いことも悪いことも、どんな結果もおよばない。不自由の中でも自由自在を満喫することができる。どんな時でもお念仏を称えることで究極の自己安心ができるのではないか。
以下「歎異抄第7章」より
[原文]念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。












