親鸞聖人・高僧他

31. 人間の煩悩は生涯、無くならない。②

(人間の心は極悪人。その救いは、阿弥陀仏の「本願」であると。)

1.概要

人間の行動は体(しぐさや動き)や口(ことば)で表現される。その元は心にある。

悪いことを心で思うので十方じっぽう衆生しゅじょう(すべての人間)は救いようのない極悪人であるといわれている。

仏教では人を実際にあやめたりすることよりも、思う罪(こころであやめ思う罪)が一番重いとされている。そんな極悪人を弥陀の本願が救ってくださると親鸞聖人はおっしゃっている。

実際に人を殺めたものは極刑を否定してないが、そんな人でも弥陀の一念の救いは残っていると。

お釈迦様も煩悩について「じゅう」の真理のところで述べられている。

もっともっとしいとむさぼよくの心、思うようにならないいかりの心、うらんだりするおろかな心等を説かれている。

煩悩でも必ずしも悪いものばかりではない。阿弥陀様はその煩悩を寛大に見ておられる側面もある。それは阿弥陀様に救われた人は往生を急がなくてよいと。それも煩悩とおっしゃっている。

親鸞聖人も同じ認識をしており、そんな方が、実際に往生した時には、阿弥陀様は快く弥陀の浄土に迎えてくれると。

 

2.文証・概説

お釈迦様(悟りを開いた釈尊)が初めて比丘びく(5人の僧)に教えを説かれた(初転しょてん法輪ぼうりんという)の中に煩悩について述べている。

それは四つ真理の中の一つでじゅうです。

お釈迦様は「人生は苦なり」の真理から始まり、その苦しみを脱し、さとりを開くことの道筋を示されている。

じゅうめつどう」の四つの真理(四諦したいと呼ばれる)を説かれた。

四諦したい:四つの真理=苦諦くたい集諦じったい滅諦めったい道諦どうたい

 

じゅうめつどうの真実について全体でみていく。

一番目:「苦」 四苦八苦しくはっくと言われているように、誰もが避けられない、人生は「苦」で、思いどおりにはいかないことを教えている。

四苦:しょうろう病死びょうししょう老苦ろうく病苦びょうく

八苦:四苦 + あい別離べつり怨憎おんぞう会苦えく不得ふとく五蘊ごうんじょう

愛別離苦:愛する人と別れることは避けられない

怨憎会苦:恨んだり憎んだりした人と出合わなければならない

求不得苦:ほしいものを求めても思い通りに手に入るわけではない

五蘊盛苦:五蘊(色・受・想・行・識)で構成される心身は思いどおりにはならない

(身体、思考等、思うようにならないこと)

二番目:「集」 苦しみを生む元(原因)は煩悩にあると説いている。

前号(No.30)でも述べているが、我々をわずらわせなやませ、罪を造らせる心を「煩悩」と言われている。

特に三つを三毒さんどくといい、それに三つ加えてろく大煩悩だいぼんのうと言っている。

「三毒」貪欲とんよく瞋恚しんい愚痴ぐちの三つをいう。
「貪欲」:欲の心で、際限なくむさぼる欲で、満足を知らない。金、物、名誉等、もっともっとと欲しがる心。
「瞋恚」:欲がさまたげられたりするとき出してくるいかりやにくしみ。自分への害であいつのせい、こいつのせいとおこる心。
「愚痴」:自分のことはさて置き、相手に対して、ねたんだり、恨んだり、さげすんだり本当のことを知らないおろかな心。
「六大煩悩」の後の三つは:まんけん
「慢」
おごりたかぶること。
「見」:誤った見解を持つこと。
「疑」:よく考えずにお釈迦様の教えを疑うこと。

三番目:「滅」 煩悩が消えたかのような、煩悩にわずらわされることがない世界。

やすらかな世界(涅槃ねはん)で静かな心になること(寂静じゃくじょう)。このような世界に入ることを涅槃ねはん寂静じゃくじょうと呼ばれ、滅の真理となる。

四番目:「道」 滅(涅槃寂静)に至る修行のことで、どうすれば、迷いの苦しみ

生死しょうじ・煩悩)から解放されるかの方法を説いている。宗派によってその方法(経典)は異なっている。

私なりに「弥陀の本願」とじゅうめつどうを比較解釈してみると、

じゅう:心の乱れを引き起こす欲望などの煩悩が、
:思いどおりにならない人生の苦を生み、
どう:苦しみを無くすことを行い(本願信心)、
めつ:煩悩が気にならない境地(絶対の幸福)になる。

親鸞さんの教えの修行(実践)は難行なんぎょうしょうどう仏教)ではなく、ぎょう浄土じょうど仏教)であり、弥陀の誓願(本願)が十方じっぽう衆生しゅじょう(私たち)極悪人が救われる唯一の道と説かれている。

 

次に煩悩の良い一面について「歎異抄第九章」で述べている。全文を記す。

念仏ねんぶつもうそうらえども、踊躍ゆやく歓喜かんぎこころおろそかにそうろうこと、またいそ浄土じょうどまいりたきこころそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」ともうしいれてそうらいしかば、
親鸞しんらんもこの不審ふしんありつるに、ゆい円房えんぼうおなこころにてありけり。よくよくあんじみれば、てんにおどりにおどるほどによろこぶべきことをよろこばぬにて、いよいよ往生おうじょう一定いちじょうおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころおさえてよろこばせざるは、煩悩ぼんのう所為しょいなり。しかるにぶつかねてろしめして、煩悩ぼんのう具足ぐそく凡夫ぼんぶおおせられたることなれば、他力たりき悲願ひがんは、かくのごときのわれらがためなりけりとられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。

また浄土じょうどいそまいりたきこころのなくて、いささか所労しょろうのこともあれば、なんずるやら んと心細こころぼそおぼゆることも、煩悩ぼんのう所為しょいなり。

久遠くおんごうより、いままで流転るてんせる苦悩くのう旧里きゅうりはすてがたく、いまだまれざる安養あんよう浄土じょうどこいしからずそうろうこと、まことによくよく煩悩ぼんのう興盛こうじょうそうろうにこそ。名残惜なごりおしくおもえども、娑婆しゃばえんつきてちからなくしてわるときに、かのへはまいるべきなり。いそまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。

これにつけてこそ、いよいよ大悲だいひ大願だいがんたのもしく、往生おうじょう決定けつじょうぞんそうらえ。

踊躍ゆやく歓喜かんぎこころもあり、いそ浄土じょうどへもまいりたくそうらわんには、煩悩ぼんのうのなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々うんぬん

意訳:全文を意訳すると長くなるので、その要約を記す。

弥陀の本願に救われ、往生間違いなしとなった、親鸞聖人も唯円も念仏称えても普通は大いに喜んであたりまえと思うのですが、その喜びがわきません。
これはなんですかと疑問をいだかれていた。
現世を棄てがたく、浄土へ急いで往きたくない心も、浄土が恋しく思えないのも、病気にかかって「死ぬのではなかろうか」と心細く思うのも煩悩のしわざであると。
そして、現世がなごり惜しくても、その縁がつき、生きる力を失えば、弥陀の浄土に参ることになる。阿弥陀様はそんな浄土へ急ぐ心のないものをいとしみ、憐れんでくださる。

 

3.補足説明

私たちは心(頭)でいろいろなことを思う。あることないことを思っている。良きことを思うこともあるが、良からぬことを思うことが多い。どちらも個人の中に留まり、実現することは少ないと思うが、たまに表面(口や体)に出てきたりすると、そこからたちまち広がることがある。良いことであればよいが、悪いことであると、大変なことに発展することがある。

人間の持つ、六大煩悩ということを理解しながら、自己のこと、そして利他のことも考えながら生活をおくりたいものです。

凡夫の人生はお釈迦様がおっしゃっているように大半が苦の世界であろう。

そんな中で、できるだけ安心して生活し、ちょっとした楽しみを見つけながらおくれれば良いと思う。

煩悩を無くそうと格闘してもできないことがはっきりした。いっそ煩悩を意識しないで生活ができるようになればよい。それは弥陀の本願信心を獲得することにあると思う。

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