(仏教の悟りには52段階の位あり。お釈迦様・親鸞様のさとりは…)
1.概要
お釈迦様は35歳で大宇宙最高のさとり(無上覚=仏覚)を開いて、仏陀になられた。仏陀のことを仏とか如来ともいわれる。現世(生きている時に)で52段目の最高のさとりを開いた唯一の人とされている。
親鸞様は弥陀の本願により、現世で51段目のさとり(正定聚=等覚)に到達し、死んでから弥陀の浄土で最高位のさとり、仏になられた。ということであろう。
弥勒菩薩と同格(等覚)になられたことを驚きをもって教行信証(2の次項)に述べられている。
仏教では、悟りに52段の位があると説かれていて、その最高の位の52段目が仏覚といわれる。仏のさとりに向かって進んでいる一歩手前の51段目を等覚という。
如来とは:仏教でいう仏とは真如より来現したひとをいう。
仏は如来または仏陀とも言われ最高無上のさとりを開いた人を指して言う。
地球上では現世で最高無上のさとりを開いたのは釈迦だけで、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれる。
仏覚=無上覚:最高のさとり。仏のさとり。(52段目のこと)
正定聚=等覚:必ず仏になる身。(51段目のこと)
真如:真実の姿、普遍的な真理。
2.文証・概説
親鸞聖人は法然上人から教えられた、弥陀の本願により、阿弥陀仏の一念の救いに値い、この世は、弥勒菩薩と同格(正定聚)に救い摂られ、死ぬと同時に弥陀の浄土(無量光明土)に往き、仏になる。と、次のように教行信証に述べられている。
「真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」
意訳:「本当に、そうだった。あの弥勒菩薩と同格になれたのだ。まったく弥陀の誓願不思議のほかにない。しかも弥勒菩薩は56億7千万年後でなければ仏のさとりが得られないというのに、いま弥陀に救われた者(親鸞)は、この世を終わると同時に弥陀の浄土に往って(弥勒菩薩より先に)仏のさとりが得られるのだ。こんな不思議な幸せがあろうか。」
弥勒大士:弥勒菩薩のこと。
等覚の金剛心をきわむる:51段階のさとりを開いていること。
龍華三会の暁:56億7千万年後に弥勒菩薩が仏の悟りを開いていること。
念仏の衆生:親鸞聖人が言う大悲の願船に乗った人。
横超の金剛心:阿弥陀仏より賜る信心で、絶対の幸福になったこと。
臨終一念の夕:死ぬ時。
大般涅槃:仏の悟り。
一念:最も短い時間で、弥陀から賜った信心。
正定聚=等正覚(等覚)=補処:あと一段で仏の悟りを開く、51段目の位。
来世は必ず弥陀の極楽浄土に往って仏になれる身になったこと。
「往生一定」(浄土往生がはっきり定まったこと)といわれる。
人生の目的である絶対の幸福になったことを言う。
3.補足説明
私たちは何かのことで、できたり、わかったりしたときに「なんか悟った」なんて言うことがあります。わかったような気がすることのようで、相対的に良くなった・理解できたというくらいの意味のようです。悟りということにはならない。実際にはこの程度のことを知ったとのことで、諦めの境地を意味していると。
例えば、苦しいときに何か分かったことを「人生さとった」言うことがあるようで、このようなことでは人生諦めた(仕方がないと断念した)ことを意味すると。
悟りの52段階について少し述べます。詳細はネット等でお調べください。
先に述べたように釈尊が52段階目の最上位で地球上では、生きている時に悟った方は釈尊以外にないことになっている。死んだ後ではこの域に達する人はあり、親鸞聖人もその一人とのこと。
52段についての概要は以下。
1段目から10段目まで:1段目を初信、二信・・・ 十信 (信の位)
11段目から20段目まで:11段目を初住、二住・・・十住 (住の位)
21段目から30段目まで:21段目を初行、二行・・・十行(行の位)
31段目から40段目まで:31段目を初回向、二回向・・十回向(回向の位)
(40段目までを退転位といい、油断するとそれまでのさとりが崩れることがある)
(41段目以上を不退転位といい、どんなことがあっても崩れないさとりのこと)
41段目から50段目まで:四十一段目を初地、二地・・・十地 (地の位)
51段目:等覚(ほとんど仏のさとりに等しいこと)
52段目:仏覚(仏のさとりのこと)、無上覚(これ以上、上がないこと)
悟りの階段を登っていくことは、並大抵のことはないようだ。心の段階で一段一段、心の境地が変わっていく。お釈迦様が説き起こされ、お経に書き残されて、到達した最終階段が52段階目ということか。








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