釈尊の「易往而無人」(往き易くして人なし)(大無量寿経)の意味は
1.概要
単純に「往き易ければ、人も多いのでは」と思うが、条件があるのでその条件をクリアできないので少ないということです。条件は大悲の願船に乗ること。乗る人がすくないということ。簡単には弥陀の浄土には行けないということ。
2.文証・概説
なぜ、浄土に人が少ないかを親鸞聖人は次のように述べている。
「易往而無人」とは「易往」はゆきやすしとなり、本願力に乗ずれば、本願の実報土に生るること、疑いなければ往き易きなり。「無人」というは、ひとなしという。人なしというは、真実信心の人は、ありがたきゆえに、実報土に生るる人稀なりとなり。
(尊号真像銘文)
大悲の願船(本願力)に乗った人は浄土に往くことに、信心すること(疑いがないこと)なので往き易い。が、信心にいたらない(疑いが消えない)ので大悲の願船に乗る人が稀(人なし)である。
実報土(真実報土):阿弥陀仏の極楽浄土
蓮如上人も次のように述べている。
「安心を取りて弥陀を一向にたのめば浄土へ参り易けれども、信心をとる人稀なれば、浄土へは往き易くして人なし」と言えるは、この経文の意なり。(御文章)
3.補足説明
多くの人たちは形だけになっていて、弥陀より賜る信心(他力の信心)を獲るまでに至っていないことでしょう。教えを受けても、なかなか、大悲の願船に乗れない。どうしても、身近な欲望の方(たとえで、難度海におぼれる私たちは大悲の願船に乗るよりも、とりあえず、丸太や板切れを求めてしまう)にこころがいってしまう。
教えに継続的に取り組んでいき(ささやかな修行)、弥陀の本願への疑いが晴れれば、弥陀より一念(他力の信心)を賜り、平生業成を成就すると。
そうすると、煩悩は残れども、消し去る作用があり、現世・来世で苦悩を抜き取り、摂取不捨の絶対の幸福に救っていただける。
しかし、弥陀の浄土に往生することは簡単ではないことを教えていると思う。













