じぃの覚え書き

33. 妙好人(みょうこうにん)と言われる幸せな人

(人生の絶対の幸福を手に入れた方)

2025年7月

妙好人みょうこうにんとは仏教の教えにより、自分の人生を本当の幸せ(絶対の幸福)にした人を言う。
学問が無くても深い信心(信仰心)を持って生活をしていた人。
妙好人のお一人を紹介します。浅原才市あさはらさいちはご両親の生きざまをみながら、人間とはなにか、生きるとはどういうことなのか、を考えながら、木を削るときに出るカンナくずに、自分の信念を書きつづりながら生きてきたと。

その生きざまは禅の人である「鈴木大拙すずきだいせつ」氏はぜんの境地と変わらないと評価した。

その多くの方々は念仏者で「本願念仏ほんがんねんぶつ」の教えの実践であったと。

妙好人みょうこうにんに関する先人の記載について

絶対の幸福になった人を観無量寿経かんむりょうじゅきょうで次のように述べています。

人中にんちゅう分陀利華ふんだりけなり」 (観無量寿経)
(人中:人間界のこと)

分陀利華というのは、白蓮華はくれんげのことです。
インドでは非常に珍しく、最高にすばらしい花とされています。
仏教を聞いて、苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福になった人を、白蓮華の花のような人だとほめたたえられています。たくさんの人がいる中で、がたい仏教を聞いて、絶対の幸福になった人を、お釈迦さまは白蓮華にたとえられたのです。

妙好人みょうこうにんとは何かを見てみますと。

善導大師ぜんどうたいしは次のように述べています。

「すなわちこれ人中にんちゅう好人こうにんなり。人中の妙好人みょうこうにんなり。人中の上々人じょうじょうにんなり。人中の希有人けうにんなり。人中の最勝人さいしょうにんなり」 (観無量寿経疏かんむりょうじゅきょうしょ

善導大師は仏教を聞いて絶対の幸福になった人を次のように分類した。

①好きな人と呼び、「好人こうにん」とした
みょうなる好きな人を「妙好人みょうこうにん」とした
(妙:いうにいわれぬほどすぐれていること。不思議なこと。普通でないこと)
③特にすばらしい人、「上々人じょうじょうにん」とした
④極めてまれな人、「希有人けうにん」とした
⑤最もすぐれた人、「最勝人さいしょうにん」とした

5通りに分類し、ほめたたえられた。2番目を妙好人とした。

さらに親鸞聖人は次のように述べています。

「この人を上上人じょうじょうにんとも、好人こうにんとも、妙好人みょうこうにんとも、最勝人さいしょうにんとも、希有人けうにんとも申すなり、この人は正定聚しょうじょうじゅくらいさだまれるなりと知るべし」 (末灯鈔まつとうしょうに記されている)
(末灯鈔:本願寺3世覚如上人かくにょしょうにん(親鸞聖人のひ孫)が親鸞聖人の教え(消息等含む)をまとめたもの)

正定聚しょうじょうじゅというのは、必ず浄土へってほとけに生まれることが定まった人のことです。
妙好人も正定聚の位になる。

お釈迦さまが2600年ほど前にインドで仏教を説かれてから、中国、日本へ伝えられ、幾億兆の人が救われて絶対の幸福になったといわれています。
妙好人は数え切れないほどいたはず、いるはずですが、ほとんどの場合は記録に残らずに忘れられています。
そんな中でも、ごくわずかに、記録が残され伝えられている人たちがあります。
どんな人だったのでしょうか?

江戸時代には、6編の妙好人伝が著作され、35名ほどの妙好人の話が書きつづられています。
(詳細を知りたい方はネット等でお調べください)

このように江戸時代までには、たくさんの人が仏教の教えを聞いて、苦悩の根元が断ち切られ、絶対の幸福に救われていきましたと。

このような妙好人は、どんな仏教の宗派から現れたかというと、ほとんどが浄土宗・浄土真宗の信者からとのことです。

上記6編に記載されている人たちは農民や小商こあきないの方々が圧倒的で、学問もなく、社会的地位も低かった人達が、どうして高度な信仰を獲得したか、また妙好人という言葉が、なぜ特に真宗系の篤信者とくしんしゃに対する特別な言葉になったかなどが関心事となっています。

この妙好人伝に出てくるような人たちは、読み書きもできない人ばかりだと。
それが、浄土宗・浄土真宗の教えによって、無上の幸せに救われたというのです。
そのことについては、ある宗教学者は名も知れない片田舎に名も知れない妙好人が、あちらこちらに今も現れている。真宗系のみがもつ不思議な力であるといわねばならぬと。
もとより妙好人は仏教各宗派に現れるはずであるが、なぜか真宗系の仏徒から圧倒的にたくさん現れてくるのであると。

私たちの苦悩の根元とは何か、どうすれば苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福になれるのか。
その根本となる教えが本願念仏という。

以下は、私個人的なキッカケから、親鸞聖人にご縁をいただき、教えを学んできて、少しの実践をしているものとして、私見も含め書いてみます。

妙好人みょうこうにんとは私が思うところでは、まじめに仕事(働いて)をして、自分でできることをして、阿弥陀様あみださま本願ほんがんうたがうこともなく、本願念仏ほんがんねんぶつを信じ、お念仏ねんぶつとなえ、慈悲(じひ)の心ある行動(慈悲の実践)で、ひたすら生きてこられた方と思います。おだやかにくらし、生涯を送れた方と思います。
結果、現世げんせでは阿弥陀様に生涯見守られ、すくわれて、おだやかにすごされ、来世らいせで、阿弥陀様の浄土じょうど西方極楽浄土さいほうごくらくじょうど)に往生おうじょうされた方と思います。そして、浄土から現世を見守られていると思います。
なんと幸せな(絶対の幸福)人生を送られた方々であると思います。
本願念仏は先人(如来様、聖人様、上人様等)がご苦労され、思考し、つくられて、それを実践し、改善し、凝縮された教えの一つと思います。これらを多くの現代人も学んでもよいと思いますが、先人たちの積み重ねられた智慧は私たちのような凡夫ぼんぷ(凡人)がいくら考えても足元にも及ばないことを自覚すべきです。現代は多様性の時代と言っているようですが、凡夫では自分勝手なものしか生まれないのではと思います。
これらの教えが長年、引き継がれて、今も活きているのです。これを人類の智慧とするならば、素直に受け入れて学ばない手はないと思います。

妙好人は、阿弥陀様にご縁を得て、本願念仏を心から信心して、阿弥陀様のお念仏を称えて、阿弥陀様にとことんすがって、救いを得て生活をすることです。簡単な「ぎょう」を行い過ごすだけで良かったのです。

以下に本願念仏が創り出された経緯を私の理解の範囲で書いてみます。(解釈が一部変りました)

一.◎法蔵菩薩ほうぞうぼさつ四十八しじゅうはちの誓願を立て、それを実現し阿弥陀如来になられ、四十八願しじゅうはちがん(元の本願)となる。

発端は阿弥陀如来になる前の法蔵菩薩ほうぞうぼさつ五劫ごこうという長い長い年月をかけて思惟しゆいして、四十八しじゅうはち誓願せいがんを創られ、それらの実現をすることで阿弥陀如来になられた。その四十八願(本願とされている)が大元おおもとになっている。その中で十八じゅうはち願が人間を救うためのものであり、これを本願ほんがんという。
(本願とは:人間の本来の願いのこと)

二.◎阿弥陀様の本願をお釈迦様が無量寿経にまとめられた。

釈迦がまとめられた十八願:設我得仏せつがとくぶつ十方衆生じっぽうしゅじょう至心信楽ししんしんぎょう欲生我国よくしょうがこく乃至十念ないしじゅうねん若不生者にゃくふしょうじゃ不取正覚ふしゅしょうがく唯除五逆誹謗正法ゆいじょごぎゃくひぼうしょうぼう」 (無量寿経)

(もし、私が仏になったとき、すべての生きとし生ける者が、心を尽くして信じ願い、私の国にうまれたいと思い、少なくとも十声、念仏すれば、必ず、浄土に生れるようにしたい。そうでなければ、私は仏にはなりません。ただし、五逆罪を犯した者と、仏法を誹謗する者は救済の対象から除く)

三.◎釈迦の本願を善導大師が観無量寿経疏かんむりょうじゅきょうしょにまとめられた(ここで解釈の一部が改められた)。

善導大師がまとめられた十八願:若我成仏にゃくがじょうぶつ十方衆生じっぽうしゅじょう称我名号しょうがみょうごう下至十声げしじっしょう若不生者にゃくふしょうじゃ不取正覚ふしゅしょうがく

成仏じょうぶつせんに、十方じっぽう衆生しゅじょう名号みょうごうとなえること、下十声しもじっしょういたるまで、もししょうぜずば、正覚しょうがくらじ)

(もし、私が仏となったとき、十方の衆生が、私の名前を称すること、十声であっても、我が国に生れることがなければ、私は仏にはならない)

善導大師は「至心信楽、欲生我国」の言葉を省いている。それは称名しょうみょうをすることに重きを置いた。

また、「唯除五逆誹謗正法ゆいじょごぎゃくひぼうしょうぼう」も除外している。そこには「善人悪人問わず、すべての人が救済される」にされた。

四.◎法然上人が専修念仏せんじゅねんぶつ(本願念仏)としてまとめられた

日本での本願念仏の教えを確立したのが法然上人です。それがすべての人の救済になるとした。
その元が善導大師の著述(著書)から学んで、その教えをそのまま引き継いだといえる。
多くの市民に受け入れられ、あまりにも普及(流布るふ)したため、仏教界から異論が出て、朝廷にうったえられて本願念仏の禁止令まで出され、弾圧された。
法然上人をはじめ、主要な弟子が流罪るざい(七人)、死刑(四人)となった。親鸞は流罪で上越に。
権力からの弾圧の歴史があったが、流罪から解放された後は、時間の経過とともに、本願念仏の教えが公家・武士等から農民・庶民等に至るまで幅広く広まっていった。

五.◎親鸞聖人は法然上人の本願念仏(専修念仏)を引き継いだ。

法然上人さんを師匠にして学び次のように言っている。
「よき人のおおせをこうむって信じるほかに特別の理由はありません」(歎異抄)

よき人は法然上人のことです。
親鸞聖人は赦免しゃめん後、関東で普及活動し、多くの弟子も育てた。そして、京に戻られてからは、多くの著述に励まれた。

◎「本願念仏」とは何でしょう。もう一度考えて私なりにまとめてみました。
ここでは項目のみ(簡単な説明含む)を上げています。興味のある方は深堀りください。

①どんな人も救われるというものですが、本願を知らない人、疑いなく信心しない人は対象とならない。
弥陀みだ誓願せいがん、不思議にたすけられ、まいらせて、往生おうじょうをば、とぐるなりと信じて、念仏をもうさんと思い立つ心のおこるとき、すなわち、摂取不捨せっしゅふしゃ利益りやくにあずけしめ、たまうなり」
弥陀はどんな人も救うと誓われて如来になられた。信心すれば「悪人こそ救われる」。(どんな人でも救われるという意味です)

②本願念仏のぎょうが、いたって簡単であること。阿弥陀様を想い、感謝の気持ち(ご恩)で、お念仏(南無阿弥陀仏)をとなえるだけ。(他の宗教の教えでは、そうはいかない、難しいぎょうとなること多い)

③弥陀の本願を信じて生きていけば、学問が無くても生涯を絶対の幸福になり、人生を全うできること。

④阿弥陀様やよき人(善知識ぜんちしきを含む)が常にそばにいること。

本願他力ほんがんたりき(弥陀の救済のいんえん)をいただけること。

無碍むげ一道いちどう(精神の自由をもたらすこと)の境地になれること。

⑦親鸞聖人の平生業成へいせいごうじょうを実践できること。

⑧ちゃんとぎょうを行わないと、「易往而無人いおうにむじん」(無量寿経) やすくして人なし のことを知っていること。

小欲知足しょうよくちそくに生きられたこと。

今回の題材である「妙好人」は本願念仏の教えを実践された方々と理解します。

本願念仏は一つの教えであり、その教えを了解、納得するか、しないかは、お一人お一人(あなた)が考え判断することです。
あなたの現状に、何かと不安や、やるせなさ、心情や精神(メンタル)に不安があるならば、人生の生き方の見直しが必要かもしれません。この機会(キッカケ)に再考してみるのもいいかもしれません。

次の文章で締めくくります。
うまくいく人生にしていくか、そうでない人生になってしまうのかは、あなた次第です。

「このうえは、皆さま方が念仏の教えを信じようと、また、反対に捨ててしまわれようと、それはお一人お一人のお考え次第なのです」 (歎異抄第二条の後部の文章)

南無阿弥陀仏

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