(本願成就した時に、自分の本当の姿をはっきり知らされた)
1.概要
無明の闇がはれる(本願成就:人生の目的達成)と「機の深信」(自分の本当の姿を知らせている)が知らされる。
親鸞聖人は自分のことを次のように認識、告白している。
「私は六道を輪廻して、そこから脱出できない、地獄にも落ちいる、これ以上ない、最低の人間であることがはっきりした」とのこと。
2.文証・概説
「機の深信」について、親鸞聖人は次のように述べている。
「自身は、現に、これ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし、と深信す」
(私は、いままでも、いまも、これからも(曠劫よりこのかた)救われることの絶対にない(つねに流転)、極悪最低の自分(罪悪生死の凡夫)であることが、はっきりした)
また、次のように教行信証にも述べている。
「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近くことをたのしまず。恥ずべし、傷むべし」
(情けない親鸞だなー。浄土に往ける身になった(正定聚)のに、愛欲の広海におぼれ、名誉や利益の欲にふりまわされて、そのことをよろこばず、仏のさとりに近づいていることをたのしまないとは、恥ずかしいこと、悲しいことか)
「煩悩具足の衆生はもとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆえなり」(親鸞聖人―尊号真像銘文)
(本来、人間にはまことの心もなければ、清らかな心もまったくなく、邪悪の心しかない)
それが私たちの実相では。
親鸞聖人の教行信証に以下の内容の記述あり。
もう一度「機の深信」について知っておこうと思う。
「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日・今時にいたるまで、穢悪汚染にして清浄の心なく、虚仮諂偽にして、真実の心なし」
(すべての人間は、はじめなき昔から、今日まで、邪悪に汚染されて、清浄の心はなく、そらごと、たわごとのみで、真実の心は、まったくない)
人間ってものをよく認識して、一方の「法の深信」(弥陀の誓願まこと)をよく知った上で教えに取り組んでいくことと解釈したい。これらをセットで知ることで、真実の浄信を獲ることになっていくのであろう。
真実の浄信:弥陀の誓いどおり、苦しみの根源を絶ち切られて、人生の目的達成(成就)した歓喜の生命のこと。
3.補足説明
阿弥陀様に救ってもらえ(人生の目的達成する)なければ、親鸞聖人でさえ、六道輪廻の世界で生きていることがはっきりわかった。
それは、欲や怒りの煩悩、罪障(悪い行い)、愛欲への沈没など、現世を自覚し懺悔しながら生きていたのであろう。私たち凡人はなおさらであろう。
何もしなければこのようになることを教えているのかな。と












