(本願成就した時に、弥陀の本願まことだった、ことがはっきり知らされた)
1.概要
無明の闇がはれる(本願成就:人生の目的達成)と「法の深信」、この世も来世も絶対の幸福に救い摂ってくれるという、弥陀の誓願はまことだった。が知らされる。
関東の同朋たちが、弥陀の誓いに疑いが生じ、親鸞聖人がおられる京都まで訪ねてこられて問いただした。
親鸞聖人は弥陀の誓願は「往生極楽の道である(死後のはっきりしない無明の闇を破り極楽浄土に必ず行ける)ときっぱりとおっしゃられた」。
このことを聞いて同朋たちは大安心、大満足された。
「おのおの十余カ国の境を超えて、身命を顧みずして、尋ね来らしめたもう御志、ひとえに往生極楽の道を問いきかんがためなり」(歎異抄・第二章)
2.文証・概説
「法の深信」について、親鸞聖人は次のように述べている。
「かの阿弥陀仏、四十八願をもって衆生を摂受したもうこと、疑なく、おもんぱかりなく、かの願力に乗ずれば、定んで往生を得、と深信す」(弥陀の誓願は衆生を絶対の幸福に救うという、疑いのない誓いであることがはっきりした)
弥陀の誓願にまったく疑いがなくなったことを、誓願不思議を次のようにも述べている。
「真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心をきわむるがゆえに、龍華三会の暁、まさに無上覚位をきわむべし。念仏の衆生は横超の金剛心をきわむるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」
(本当にそうだった。弥勒菩薩と同格になれた。弥勒菩薩が仏の悟り(如来)になる前に、命が終わるときに、弥陀の浄土に往き仏になれる)
弥勒大士:弥勒菩薩のこと
等覚:あと一段で仏の悟りを開く五十一段目の悟り。(補処に同じ)
金剛心:どんな人から攻撃されても、微動だにしない真実の信心。
龍華三会の暁:五十六億七千万年後に弥勒菩薩が仏の悟りを開き説法する。
無上覚位:最高の悟り。仏の悟り(五十二ある悟りの中の、最上位の悟りのこと)。
念仏の衆生:大悲の願船に乗ったひと。
横超の金剛心:阿弥陀仏より賜る信心。(絶対の幸福のこと)
臨終一念の夕:死ぬとき。
大般涅槃:仏の悟り。
「大悲の願船に乗じて 光明の広海に浮びぬれば 至徳の風しずかに 衆禍の波転ず」(教行信証)
(大悲の願船に乗ると、光り輝く世界になり、今までのいろんな不幸や災難が、消え去り、無上の功徳に覆われるようになる)
大悲の願船に乗じて:弥陀の誓約どおり、人生の目的を成就したこと。
大悲の願船:阿弥陀仏の十八願、南無阿弥陀仏の大功徳(幸福にする働き)のこと。
至徳:無上の功徳(幸福にする働き)。
衆禍:いろんな不幸や災難。
親鸞聖人は次のように「高僧和讃」でご自身のことを、そして、「正像末和讃」で行者のことを同じ内容で述べている。内容はこの世のすべての人(悪性の人間)が、大悲の願船に乗れば、不思議な功徳に身が覆われて、なんと尊いことなんだろう、と。
「五濁悪世の衆生の選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の功徳は親鸞の身にみてり」(高僧和讃)
高僧和讃:親鸞聖人がインド・中国・日本の七人の高僧を賛嘆された詩。
「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の功徳は行者の身にみてり」(正像末和讃)
正像末和讃:弥陀の本願のみが救われる道と教えられた親鸞聖人の詩。
3.補足説明
私たちはいずれ必ず死にます。その時には、できれば、極楽浄土に往きたい。それが生きているいときに確定できる、と。そのことで、現世を満足して生きていけるのではないでしょうか。
今生(今のこと・生きている時)と後生(死んでから)の二度の救いがあります。ということ。蓮如上人は「御文章」で次のようにおっしゃっています。
「一念発起のかたは正定聚なり、これは穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりと心得べきなり。されば、二益なりと思うべきものなり」
(この世においては弥勒菩薩と同格(正定聚)に救い摂られ、死ぬと同時に弥陀の浄土で、無上のさとり(滅度)が得られる。弥陀の救いは二度(二益)ある、と。)
一念発起のかたとは:弥陀の誓約どおり、人生の目的成就したかた。
凡夫の私たちは次のことを意識して教えにとりくむ必要があると思う。
「生死の苦海ほとりなし 久しく沈めるわれらをば、弥陀弘誓の船のみぞ 乗せてかならずわたしける」(高僧和讃)
再度、次の一項をよく記憶し忘れずに教えに取り組みたいと思う。
「難思の弘誓は難度海を度する大船」(教行信証)
(弥陀の誓願は苦しみの絶えない人生を乗り越え、喜びの人生にするための船である。この船に乗ることが人生の目的である)

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