親鸞聖人・高僧他

26. 仏教の修行の違いについて

しょう道門どうもん=聖道仏教と浄土門じょうどもん=浄土仏教との違い)(歎異抄第四章)

1.概要

仏教を大きく分けると、聖道仏教と浄土仏教の二つになる。その違いは修行の仕方のようだ。

聖道仏教は教えに従い、自分を追い込んで修行して、悟りを開こうとすることのようだ。自分の力で難行苦行に励んでやることで自力仏教と言われる。
天台宗、真言宗、華厳宗などがその部類に入り、根本経典は次のものである。

天台宗:「法華経ほけきょう」、真言宗:「大日経だいにちきょう」・「金剛こんごうちょうきょう」、華厳宗:「華厳経けごんきょう

一方、浄土仏教は阿弥陀仏の本願の力で救ってもらうことで、ただその教えを信じて(信心して)、普段の生活の中で実行(修行)をすることのようだ。阿弥陀仏に救われれば、現世で護られ、死ねば極楽浄土に往って、仏に生まれることを説く教え(二度救われる)で、阿弥陀様のお力にたよるので、他力の仏教と言われる。
浄土宗や浄土真宗がその部類にはいる。

根本こんぽん聖典せいてん浄土じょうど三部さんぶきょうと言う:「大無量寿経だいむりょうじゅきょう」「観無量寿経かんむりょうじゅきょう」「阿弥陀あみだきょう

2.文証・概説

歎異抄・第四章の原文。

慈悲じひしょうどう浄土じょうどのかわりめあり。

しょうどう慈悲じひというは、ものをあわれみかなしみはぐくむなり。しかれども、思うがごとく

たすぐること、きわめてありがたし。

浄土じょうど慈悲じひというは、念仏ねんぶつしていそほとけになりて、大慈だいじ大悲だいひしんをもっておもうがごとく

衆生しゅじょうやくするをいうべきなり。

今生こんじょうに、いかにいとおし不便ふびんおもうとも、存知ぞんじのごとくたすがたければ、この慈悲じひ始終しじゅうなし。しかれば、念仏ねんぶつもうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲だいじひしんにてそうろうべき、と云々。」

「意訳」
慈悲と言っても、聖道仏教と浄土仏教では違いがある。
聖道仏教の慈悲は、一切のものを憐れみ、いとしみ、守り育てることをいうが、どんなに努力しようとも、思うように助けることは難しい。
それに対して、浄土仏教で教える慈悲とは、お念仏して、弥陀の本願に救われ、浄土で仏のさとりを開き、大慈悲心を持ってすべての人を救うことを言う。

この世で、(聖道の慈悲は)かわいそう、なんとかしてやりたいと、どんなに哀れんでも、心底から満足できるように、助けることはできない。(浄土の慈悲は)弥陀の本願に救われる、念仏する身になることのみが、徹底した大慈悲心である。と聖人は仰せになりました。
お釈迦様は時が過ぎ、世の中が乱れてくると聖道仏教では人は助からないと説いている。

お釈迦様が死んでからの時代(時期)を大きく次のように分類している。

それぞれの時代で①教えが活きている②教えの通り修行をしている③修行により悟りを開く人がいる。この三つの存在が時代とともに変化してくることを説かれている。

その時代を次のように分類している。

一番目の時代(期間)を正法しょうぼう  釈迦死後500年間 ①・②・③が活きている

二番目の時代(期間)を像法ぞうぼう  正法後1000年間 ①・②が活きている

(現在)三番目の時代(期間)を末法まっぽう  像法後10000年間  ①のみが活きている

四番目の時代(期間)を法滅(ほうめつ)  末法以降 ①・②・③のいずれも残らないが。

一つだけ大無量寿経だいむりょうじゅきょうの教えだけが残るとされている。(阿弥陀仏の本願のこと)

お釈迦様の出世しゅっせ本懐ほんがい(生まれた目的)は大無量寿経を説くためとされ、すべての人が本当の幸福に救われるのは「阿弥陀仏の本願」であるとしている。

その重要性を示す一文を上げると。

無量むりょう寿仏じゅぶつじん光明こうみょう最尊さいそん第一だいいちにして、諸仏しょぶつ光明こうみょうおよぶことあたわざるところなり」(大無量寿経)

意訳:阿弥陀仏のお力は、大宇宙の仏の中で最高であり、諸仏の力のとても及ばぬ、ずば抜けたものである)

無量寿仏:阿弥陀仏のこと。

 

先の時代分類に戻るが、日本の通説では末法のスタート・末法元年は西暦1052年(平安後期)とされている。
そうすると、現代は①の教えだけが活き残っていることになる。

時代の年表(西暦)ではそれぞれの分類がどの時点で変わったかを考察してみる。
その必要なデータを得るために、お釈迦様に関する情報をまとめてみた。

お釈迦様が誕生(4月8日:お釈迦様生誕記念日:灌仏会:花まつり)して

現代まで約2600年経つといわれており、35歳の12月8日に大宇宙最高のさとりを開いて、仏陀(真理に目覚めた人)になられ、7000余のお経を作られた。そのお経が、歴代の高僧たちに引き継がれ、主要なお経をそれぞれの宗派の根本聖典としてその教えを伝承している。80歳で入滅までの45年間、仏教(仏の教え)を説き続けた。

上記のデータを元にそれぞれのスタート時期を試算してみた。(正解だとは思わないが、個人的に単純計算してみた)

末法元年の1052年を基準に前後を想定した。

お釈迦様誕生:紀元前528年?(448+80歳)

正法のスタートは紀元前448年(釈迦入滅:0年)

像法のスタートは西暦52年(448+500年)

この時期の538年に日本に仏教が伝来したとされている。

◎末法のスタートが西暦1052年(52+1000年)

法滅のスタートは西暦11052年 (1052+10000年)

現代は釈迦生誕から約2600年と言われている。
現在は2021年であり、
2021年+528年=2549となり、概ね合っていると思える。
(正法から像法の期間を500年または1000年との説があるが、私の試算では500年となる)

聖道仏教:自力で修行に励み、さとりを開こうとする仏教。

浄土仏教:阿弥陀仏の救い(他力といわれる)を説く仏教。

仏のさとり:仏教でいう五十二の段階のさとりがある中で、最上位のさとりのこと。

 

3.補足説明

仏教はお釈迦様の教えを起源としており、時代、時代に高僧たちが生まれ、それぞれがお釈迦様の説いた経典を元に宗派を興され、時代により、教えの内容や普及の対象が違ってきている。
初期のころは貴族や朝廷を対象に国を護持することを主目的としたものだった。その後、財力や地位もない庶民がもっと救われなくてはならないとするものになってきて、宗教の教えの対象も中身もかわってきた。そして、現代にも受け継がれている。

*法然上人も大原問答でおっしゃっているが、教えに優劣はないとしており、もともと、すべての教えはお釈迦様のものなので、それぞれを生活にいかせればいいのではと思う。
私個人の思いは、以前、密教の宗派で学んでいたが、振り返ると、今は簡単な方法で修業(聴聞)ができ、阿弥陀様のお力をいただけ、浄土に往生できるかもしれない浄土仏教の方がいいと思うようになっている。

*付記

浄土仏教が発展してきて、庶民に加え貴族や公家の方々にも信奉者が急増してきたことで、聖道仏教の諸宗に、強い危機感がでてきた。その状況が無視できなくなり、聖道諸宗が一丸になって普及を阻止するため、前代未聞の朝廷への直訴が行われ、相互に見解のやりとりがあったが、結果的に朝廷は浄土宗の解散、念仏布教の禁止、法然・親鸞他8人の流罪、死刑者4人の処罰が決行された(承元じょうげんの法難と言われる:歎異抄に記されている)。聖道諸宗と権力者による弾圧が行われたことは記憶されるべき事項であろう。

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