(2023年1月)
新型コロナウイルスが日本で初確認されてから今年1月16日で丸3年になる。
私、昨年は3年目でもあるので、ある程度収まると期待していたが、そうはならなかった。あさはかな予想だった。個人的には遠出は極力控え、自宅中心の生活となった。
昨年、キーワードで掲げた「ゆっくり」を自分に言い聞かせながら過ごしていたことは良かったと思う。
自宅周辺の散歩をよくするようになったし、天気のいい日には夜空をよく眺めていた。
テニスの「ゆっくり」は技量の幅を広げることができ、かなりの成果だった。また、日常生活で車の運転も「ゆっくり」は運転に余裕を持たせていたと思う。歳も歳ですので「ゆっくり」は少しの判断する時間が増えるので、すべてとは言わないが良い方にいっていたと思う。
ものごとはやれることはできるだけ早くやるようにしたいと思っているが、現実は怠け癖があり、そうもいかないことが多い。できるだけ面倒がらず、今やっていることで、変えなくてはならないことは変え(修正)、これからやろうとすることも含め、「あくせく」したものではなく、身体(脳も含め)を充分休めて(充分の睡眠をとって)動ける体にして、自分ができることをやっていければと思う。
私には、できるだけ「ゆっくり」の生活ペースがいいようだ。今年も昨年と同様にやっていきたい。
私が今、学んでいる、850年前にお生まれになられた親鸞聖人のことで、少しつけ加えてみる。
親鸞聖人は平安時代後期から鎌倉時代を90年間、生きられた方です。その時代は貴族社会から武家社会への変遷過程の混沌とした時代で、その世は飢饉があり、戦乱があり、大変な変革時代であった。
親鸞聖人は幼少時代から比叡山で20年の長い期間、厳しい修行に明け暮れ、煩悩が一層強くなり、「さとる」ことなどとんでもないことになっていて、山を下りる決断をして、京で法然上人に偶然出会い、阿弥陀様の本願に縁ができ、その教えを学び、本願を疑うことが無くなり、不動の信心を獲た。
その後、4年間、越後に流罪になったりしたが、活動(教えの布教・著述等)は70歳代になっても、80歳代になっても衰えることなく精力的に行なっていたという。
確固たる信心と周りの支えもあり、心の精神を保っていたのではないかと思う。
当時の食料事情、医療がどのようになっていたのか、気になるところだが私にはわからないが、今と当時を較べると、食糧事情も、医療も、雲泥の差であろうと想像がつく。
私たちも周りの支え、食事の選択や適宜医療のお世話になりながらも、親鸞聖人の精神性を見習うこともよいかもしれません。親鸞聖人の生き方から学べる事象の一つではなかろうか。
この教訓は、人間いずれ亡くなるが、私たち凡夫でも、高齢者(70代80代90代)でも、生きていれば、できるだけやりたいこと、やれることはやる。まだまだあきらめるのは早いと思う。
<今年は次のことを思う>
今年も「ゆっくり」をキーワードとして継続したい。
●以下のことを継続と追加でやってみたいし、考えてみたい。
1.紙一重・一瞬について考えていきたい
同じ土俵での紙一重・一瞬について考えてみたい。
実力が均衡していると紙一重で決着する(勝敗をわける)ことがある。
自然災害は一瞬。人間関係も一瞬。人間って紙一重、一瞬が起こる中で生きているように思う。
人間の絶対の幸福は一瞬で決まる。それを親鸞聖人は一念とおっしゃっている。
個人的にはテニスのゲームで「紙一重で勝つ」を意識してやっていきたい。
2.運動
・テニス:「ゆっくり」を口にして、人や天気、周りをよく観察し、ボールもしっかり見て打つ。
(「あせらない」「落ち着いて」のことばより私にはしっくりくる)
今年は繋ぐことだけでなく、適球のミスしない強打ができるようにトライしていきたい。
・ゴルフ:ゴルフは止まっているボールを打つ競技なのにうまく打てない、なぜかを考えて歳なりに
上達するようにトライしたい。自然のなかでのプレイなのでコントロールが大事と思うが。
①まず、ボールを打つ基本動作(しっかり土台をつくって、振り切ることができるように)
打つ方向・落としどころを決める→アドレスを安定させる所から始め→ティークバック(ゆっくり)→トップの位置(打つ距離によりTOPの位置が変わる)→スイングの開始→ダウンスロー→インパクト(振り切る)→フォローアップ(打つ方向に)→フィニッシュ
②2打目以降、ボールの落ちどころにより打ち方が変わる。コースに出た時によく観察して改善していかなくてはならない。その実地を積み重ねて、極力次回には活かすようにしなければならない。
③留意事項
基本動作はどこでも活きると思うので一連の動作をそれぞれのクラブ(アイアン・ドライバー)で行うことができるように練習すること。
パターはちょっと違うように思うが良いスコアはパット数で決まるのでしっかり練習すること。
打ち方で留意するのはインパクトのスイングを早くするのは良いと思うがインパクト時にボールをしっかり見て上体が起きないように、頭が動かないように、しっかり腰を入れて、打つようにすること。インパクト時に手首が返ること。
基本スタンスは土台作りになるので、肩幅くらいに立ち、上体を起こし、膝も緩め、グリップも手首も肩の力が入らないようにすること。
結構、留意する点多い。基本動作を一球一球意識しながら繰り返し、身につけること。
・散歩:息抜きにもなるし、近所の方に遇えると雑談ができる。テニスの素振りにもなる。
3.生活:やるべきことはやるようにしていきたいが、「ゆっくり」の気持ちから入りたい。
(高齢になり、物忘れも多くなるし、やることもまともにできないので、「ゆっくり」でイメージすると少しは時間的余裕ができ、少しはまともになるのではと、勝手に思っている)
家庭菜園の食物の生産は一年周期。「ゆっくり」考えていいが、やるべきタイミングは大事。
生活の足である車は「ゆっくり」を口ずさんでスタートさせる。余裕ができるかな。
食事の準備でも食べる時間は不規則にはなるが、「ゆっくり」ではじめる。
旅行やお寺参り(法座参加含む)、ライブも機会があれば、行きたい。
花壇の場所をどこにするか。そして、デザインとその試行(ゆっくり考えたい)
良いことも悪いこともあるが普通に生活できれば。良いことが時々あれば。
4.なにかやればかならず修正はある。
個々のことをやっていると、これでいいのだろうと思うことがある。
そんなところを、修正(改善)していけたらと思っている。
この歳では大きな修正はできないが、小さな修正はまだできる。
たとえば、テニスの不得手な所の修正はまだできる。
文章の作成は下手だがまだ修正の余地はある。
食事の準備もまだまだ手順が悪い。まだ修正の余地あり。
完璧なんてできない。動けばかならず問題や課題が出てくる、良いこともあり、そこそこやって、良しとしつつも、気がついたり、気が向いたら修正をかけていきたい。
5.「たら」・「れば」の仮定の話は極力しない。やって反省をしていこうと思う
昨年に引き続き、
たらればの意味は「・・したら」「・・すれば」の末尾を重ねて、実現しなかったことを仮定する話であることをいう俗語で、過去のことを振り返るときにでてくることばのようだ。
世の中、「たらればの話」であふれている。娯楽の漫談・漫才ならいい。
私には、あまり、良い印象はないが、できるだけ持ち出さないようにしていきたいと思う。
先を見越してやることを言い、そのことをやっていき、反省していくのは良いと思うが。
私事、ものごと、うまくいくときも、いかないときも、阿弥陀様のお力をいただきながら、その「はからい」でと思う。
合掌








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